皆さま、かの有名な寓話「ウサギとカメ」を知っていますね。知らない方のため念の為説明しますと、軽やかに野を駆けるウサギと鈍足のカメが競走をし、圧倒的有利な立場から慢心するウサギをよそに、コツコツと努力したカメが結局勝ってしまうという、簡単にいえばそんなお話です(笑)。
この童話は、主に継続的な努力が成功を呼び、油断や過信は失敗のもととなるという教訓を与えてくれます。子供にも容易く理解できてしまう単純明快なお話ですが、実生活において、知らずしらずのうちにいつの間にか「ウサギ」と化してしまった方はいらっしゃいませんか?
そう、お察しの通り、学生時代のmaloneは紛うことなき「ウサギ」側の人間でした。有名大学に現役合格し、コロナウイルスの蔓延により在宅授業がほとんどとなってしまってから勉強三昧の日々を過ごし、課題の出来も良く平均GPAは3点台後半を推移。パンデミックの影響が鳴りを潜めた3年次には率先して企業のインターンシップに参加していたので、まさか自分が「就職活動に失敗する」ことなどあり得ないと考えていたのです。
しかし、この時点で抱いていた余裕からなる慢心、自己陶酔、その他諸々が自身の成長を妨げた結果、就職活動がうまくいかないことはもはや、既定路線となっていたのです。
就職活動のウサギとカメ
時計の針を少し戻して、僕の大学受験期のことをお話ししましょう。
maloneの通っていた高校は、某有名ロックバンドメンバーや、最近は悪目立ちするニュースも増えてしまった元人気女優の息子たち、果ては現在サッカー日本代表の主軸としても活躍している神童も通っていた、地域では有名な学園の系列でした。大学時代、斜に構えてろくに交友関係を築いてこなかった僕の捻くれた態度はこの頃も同じで、今となっては有名人とのコネクションが作り放題だったかつての環境のありがたみ(?)が分かっていなかったものだと後悔しかありません(笑)。
そのような中で、僕のアイデンティティーはやはり人より勉強ができることでした。決して偏差値の高い学校ではなかったので、テストではいつも学年上位に名を連ねていましたし、それである種の注目を集めることが僕の存在意義だったのです。
その気になればなんだってできる。根拠のない自信が常に自分の足を引っ張り、一般的に大学進学を考えている人が進路を決定する時期にも何のアクションも起こさなかった結果、高校3年の夏を迎えていました。
慌てた僕は両親に進学塾への入塾をせがみ、藁にも縋る想いで辿り着いた先で僕は自分の現在地を思い知ることになります。そう、熾烈な受験戦争を勝ち抜くためには、その時点で必要な学力が圧倒的に不足していたのです。
なんと哀れな人間でしょうか(笑)。自身の能力を見誤り、動き出すべきタイミングを見誤り、気づいた時には置き去りにしてきたと思っていた全ての人々に追い抜かされている。このままではまずいと考えた僕は、塾講師の方に泣きつきました。
塾としても、合格実績が看板の大きさに直結するため、僕の我儘な願いを突き返せなかったのでしょう。僕に課せられたミッションは上智大学の「公募制推薦入試」への挑戦でした。所謂「AO入試」と呼ばれるような、海外から輸入されてきたその人物の総合的な能力を多角的な視点から評価するといった、比較的新しい入試形態です。
上智大学といえば、国際色の強いユニバーサルな印象のある大学です。いくら「勉強ができるかどうか」を直接問わない推薦型入試とはいえ、その出願条件は易しくありません。中でも、何らかの英語資格を一定以上のスコアで取得しなければならないといった条件があり、資格勉強をしたことがなかった僕はまず、スタートラインに立つところから始める必要がありました。
とはいえ、時は受験戦争真っ只中の夏、大きく出遅れた僕に選択権はなく、勉強などする暇なくIELTSという英語技能の受験を予約しました。出願時期はすぐそこに迫っていたので、この英語試験で十分なスコアを叩き出せなければ、事実上の受験失敗です。
背水の陣で挑んだ当日の試験はなんと、基準点をギリギリ満たす結果でした。何ということでしょう。その前年にオーストラリアへ短期留学をしていた成果なのか、英語試験は辛くも突破、僕は受験戦争の戦列に加わることができたのです。
そして、その冬に実施された受験当日、法学部を志した僕は所謂「リーガルマインド」と形容されるような法学的素養を問われる小論文と大学講師2名による圧迫面接を乗り切り、見事希望の大学へと合格することができたのです。
惰眠を貪り続けた「ウサギ」は突如として覚醒し、眼前のカメたちをごぼう抜きにしていった結果、ゴールテープすれすれのところで身を投げ出してみせたのです。ところが、この成功体験から得た教訓は、彼にとって「なんだ、やれば何とかなるではないか」という負の教訓であり、結局のところ、彼は「ウサギ」のままでいることを選んだのです。
ウサギでいることの代償
「ウサギ」になりきることは気持ちが良いです。自慢の快速を飛ばしてみせれば周囲から大きな喝采を得ることができ、余った時間で好きなだけ怠けることができるのですから。しかし、それだけの代償は、後の自分自身が払うことになるのです。
コロナ対策が緩和されてからというもの、maloneは自分なりに過去の反省を生かしたつもりで、早期から就職活動の前準備に勤しみ始めました。意識高い大学生らしく、当時から今まで続く戦争の被害者であるウクライナを救うためのチャリティを企画する音楽レーベルの活動、有名歌手への楽曲提供なども手掛ける敏腕コピーライターが主催するインターンシップなどに参加し、今までの自分とは違うのだと何者かに成り切ったつもりでいました。
しかし、これは典型的な就職活動の失敗例です。なぜなら、当時の僕は「何のためにインターンシップに参加するのか」を理解しておらず、結局自分は「将来何を成し得たいのか」を模索することもできず、さも偉そうに、何か特別なことを成し遂げたつもりでいただけの自己満足に陥っただけだからです。
結果、その時点で当時の僕は思考が停止しました。折角インターンシップに参加したのに、何かが違った、自分のしたいことは見つからなかったと環境のせいにしただけでした。それもそのはず、明確な目的や目標も持たないまま、ただ漠然と「何かしてやった感」「就活でアピールできそう感」といった漠然とした達成感に身を委ね、心地良くも深い眠りに堕ちていっただけなのです。
次に目を覚ました時、勝負は決していた
結局、受験時の失敗は繰り返さないと息巻いていたあの頃の自分はどこへやら、ウサギのmaloneが次に目を覚ました頃は大学の卒業を間近に控えた2024年の年明けでした。もはや大学受験の時よりも致命的な手遅れと言って良く、打つ手などあろうはずもなかったのです。
とはいえ、それまで何らの行動も起こさなかった訳ではありません。名称とブランドイメージだけで勝手な理想像を作り上げ、その実ろくに知りもしない大企業や少々勢いのある面白そうな事業領域のベンチャー企業の求人にいくつか応募してみました。なまじっか名の売れた大学に在籍しているというだけで書類選考は通るものの、結果は惨敗。面接官からは「お前何しにきたの」と言われたことすらあります。
当時はその言葉に腹を立て、心の中で企業の面接担当者を口汚く罵ったものですが、今思い返せばその言葉は全くその通りであり、その場で何も言い返せなかった時点で図星であることは自分が一番よく理解していたのです。その理解を拒み続けたのは、己の何の価値もない醜いプライド、自尊心。何者かに成り切ったつもりで、何者でもないmaloneの化けの皮が剥がれ落ちた瞬間だったのです。
晴れて無価値なすっぴん少年となったmaloneですが、このまま大学を卒業してしまえば所謂「ニート」になってしまいます。得意な勉強さえしていれば「学生」という偉そうな身分が貰えた今までとは決定的に違い、自ら考え行動を起こし、その責任を一身で受け止めなければならない時期が来たのです。
両親にはこれまで育ててもらった恩義を感じていましたし、これ以上の無様を晒して歯型だらけの脛に醜くかじりつき、迷惑をかけ続けることに罪悪感を覚えない訳もなく、決断を迫られた僕の次なる一手は「手当たり次第に人材会社へ登録する」という愚策でした。
終わりに
さて、今回は前回に引き続きブラック企業就職前、maloneの就職活動失敗編をお送りしました。こうして文字に起こしてみると、酷い学生時代を送ってきたものだと、決して安くない私立高校・私立大学の学費を支払ってくれた両親に申し訳ない想いが再燃してきました…。
親孝行をたくさんしたいところですが、僕もまだ前職で味わった苦い経験による精神的な疲労が完全に抜けきっておらず、転職先の給料も歳相応の額ですので、経済的にはまだまだ余裕のある状況とはいえず、こうしてブログを書くことで副収入を得られないかと画策しております(笑)。
それでは、次回はブラック企業就職〜入社後ギャップを題材にお話ししたいと考えておりますので、是非ご一読くださいますと幸いです。それでは、引き続きよろしくお願いいたします!
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